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31 agosto 秋空と弾む間もなし夕立雲30 agosto 田助西瓜ゴロゴロと転がす西瓜で孫転び 先日の信濃旅、帰りに寄った義兄宅で田助西瓜をおみやげに頂いた。自宅で計測したらなんと12.4キロ! 自分より重たくでっかい西瓜に孫は大喜び。西瓜を転ばすつもりが自分が転んでしまった。 28 agosto 新涼信濃路旅九句(8月26-27日)23 agosto 美術館出でし庭隅白むくげ
美術館 出でし庭隅白むくげ
八月二二日、前々から思っていたコロー展を観に、久しぶりに上野の美術館に出かけた。
開場早々だったのでゆったりと一つ一つの作品を味わうことができた。
謳い文句どおりの「光と追憶の変奏曲」、特に詩情溢れる風景画の数々には釘付けにされた。
十分に満足して館を出ると、庭の片隅に、入る時にはまったく気がつかなかった白槿の花が天高く咲き誇っていた。
「曲り屋の まがき槿の咲きみちて」 (山口青邨) (引用 角川合本俳句歳時記第三版)22 agosto 見沼野早朝散歩四句
見沼野に倒れし鬼灯手折りけり
見沼野に 倒れし鬼灯手折りけり
昨夜の雨の後とあって、今朝の見沼たんぼは緑が鮮やかだ。
いつもの畠道は早朝にも拘らず同好の人たちがちらほら。すれ違いに交わす挨拶が気持ちいい。
夏草茂る畦道で横倒しになった鬼灯(ほおずき)の叢を見つけた。昨夜の激しい雷雨に打ちのめされたに違いない。
まだ彩り鮮やかな一枝を手折り我が家へのみやげとした。
「萬緑叢中一点紅、 動人春色不須多」
万緑叢中に紅一点あり、 人を動かす春色は 須く多かるべからず。
(王安石) 20 agosto 母の足踏み五円玉端居かな
母の足 踏み五円玉端居かな
故人を迎え送る盂蘭盆も終わったが、孫も音沙汰無くなった今頃になって亡き母のことを思い偲んでいる。きっかけは昨日の買い物での五円玉だ。
「五円玉はありますか」 のレジのおばさんの声に小銭入れをあさったら日頃は存在感のない五円玉が二個も入っていた。幼年時代はお駄賃の五円玉をしっかり握り締めて駄菓子屋さんに走ったあの五円玉だ。
昔の五円玉も今の五円玉と全く変わらないので何とも言えず懐かしい。この五円玉で、長持ちするでっかい飴玉が一個買えた。
暑い夏の日は、お駄賃のこの五円玉を餌に北側にあった縁側で寝そべる母の足をよく踏まされた。母の気持ちよさそうな顔を今でもはっきり思い出す。
「夕端居 うしろに母の匂ひして」 (朔多恭) (引用 角川合本俳句歳時記第三版)16 agosto 初孫に家長も形無し盆集ひ初孫に 家長も形無し盆集ひ
今日は送り盆、娘家族と姉弟家族が我が家に集まった。
例年だと家長たる爺が取り仕切り、しんみりと故人を偲ぶのだがこの日ばかりは違った。
主役は初孫、その可愛らしい一挙一動に大の大人七人が大はしゃぎする賑やかな一日だった。
家長たる我が心境は・・・。初孫に主役を奪われ形無しも、もちろん誰よりも終始嬉しくて堪らなかった。
「和を以って 疲れ果てたる盆集ひ」 (つくば市 潮田清) (引用 読売俳壇8・18) 「独り出て 道眺めゐる盆の父」 (伊藤通明) (引用 角川合本俳句歳時記第三版)
14 agosto 眠たさもふっ飛ばしけり朝の蝉
眠たさもふっ飛ばしけり朝の蝉
今朝も目覚めは早く、用足した後いつものようにそのまま起きようかとも思ったが、珍しくまだ眠たくてまた床に戻りうつ伏せ大の字に寝なおした。
気持ちよく再び眠りに落ちようとしたその瞬間、窓越しに一番蝉の甲高い鳴き声が耳を直撃した。
「ジーーッ、ジーー、ジーー、」
その後はいろんな蝉の大合唱。朝の蝉の声は涼しいのが相場のはずがまさに暑苦しい蝉時雨。
お陰で眠たさもふっ飛んでしまい、仕方なくいつものような日の出前の起床と相成りました。
「朝の蝉
富士くれなゐの褪せゆけり」
(水原秋櫻子) 02 agosto 初孫や爺ばか発揮夏祭り
初孫や 爺ばか発揮夏祭り
八月二日、今日は団地の夏祭り。娘親子が我が家に里帰りしてきた。久し振りに孫の顔が見れるので朝から浮き浮きしていたのだが、家に来たのは夕方四時過ぎだった。
「ただいま~」
待ちに待った娘の声に玄関を開けるとそこには半月ぶりに見る可愛い孫の顔が。九州の実家にもっと居たかった気持ちを抑えて昨日帰ってきた甲斐があろうというものだ。
なんと孫がヨタヨタと歩いてくれるではないか!半月前はそれこそ一歩しか歩かなかったのに。
「ヒロ、えらい! 凄い凄い!」
恥ずかしながら爺は我を忘れてすっかり興奮してしまった。一歳半にやがて成ろう年月では、むしろ遅すぎる歩き始めなのに孫の一歩、二歩、否三歩、四歩、、否々五歩、六歩と歩く姿は、世界一愛らしく、頼もしく、そして立派に見えたのである。
「笛太鼓 甚平すがたの孫を追ひ」
久し振りの親子三代揃っての楽しい宴が済んだ頃、夏祭りの会場である団地遊水地から賑やかな笛太鼓の音が聞こえてきた。
孫が着替えた甚平姿がこれまた堪らない。回りの迷惑も顧みず、孫を祭りの会場で無理やり歩かせる爺の姿は、多いに家内と娘の顰蹙を買う羽目になってしまった。 01 agosto 途中下車友の個展で涼もらひ
途中下車友の個展で涼もらひ
平成二十年八月一日、九州帰省を終え埼玉に戻るのに飛行機で直帰ずるのは勿体無い、新幹線を、それも京都で途中下車をすることにした。理由は我が心の友であり絵の師でもあるM氏の個展を見たかったからである。
久留米の実家を出たのは七時前。博多でのぞみに乗車、京都駅前のホテルで出迎えのM氏に十一時過ぎに会う。彼の車で洛西の某信金支店に、到着したのはお昼前だった。
窓壁を利用したギャラリーに彼の絵は展示されていた。いずれも彼ならではの見る人を癒してくれる風景画ばかりの八点だ。小品ながら特に夏の奥入瀬の二点は気に入った。谷川のせせらぎ、そして小さな滝の作品だ。見ているだけで暑さを吹っ飛ばしてくれる。
「どちらか気に入った方を展示会が終わったら進呈するよ」
との嬉しい言葉に感激、益々涼感を覚えた。有り難きかな、わが心の友。 鑑賞を終えると自宅がすぐ近くなので寄ってくれとのこと。
遠慮なくお伺いすると家の壁という壁に彼の大小さまざまな作品が掲げてある。人に見せる為ではなく自分の作品を振り返り精進する為だそうだ。また彼のアトリエも拝見させて頂いた。多いに絵心の刺激を受けた真夏の白昼三時間の、有意義な途中下車だった。 |
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